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     第27巻2号・2011年12月
   なでしこジャパンと認知症
                        東京内科医会 常任理事 神津 仁

 女子サッカーといえば、ワールドカップで世界一の座を得てからは、マスコミ的にもメジャースポーツの仲間入りをしたが、つい最近までは日陰のスポーツだった。国内のリーグ戦を観戦する観客はほとんどいなくて、選手は企業所属とはいえスポーツで稼げる選手はいなかったようだ。昼間に練習できるチームは恵まれているほうで、日本代表でも多くの選手が昼間はレジ打ちなどのバイトをして生計を立て、夜に練習していたという。そんな選手達が、今は輝かしいスポットライトを浴びている。
 私が大学にいた頃(30〜40年前)、現在「認知症」と呼ばれている疾患は「痴呆症」と呼ばれていた。当時は欧米に多いとされていた初老期痴呆のAlzheimer diseaseは日本には少なくて、Vascular dementia(脳血管性痴呆)が多いとされていた。当時日本人の死因の第一位は圧倒的に脳血管障害だった。死にいたらないまでも、片麻痺や失語症などの強い脳障害を起こして社会生活ができなくなった人が多くいた。原因の多くは、塩分の多量摂取、タンパク質不足、重い労働負荷、軍隊生活で覚えた飲酒や喫煙、treponema pallidum感染症などで、特に日本人男性には多かった。「惚け老人」といわれて、家族から見放され、いわゆる「老人病院」に入院させられた時代だ。社会的入院という必要悪が日本中を跋扈していた。このとき世の中は右肩上がりの経済成長で、銀座・赤坂・六本木では札束が飛び交い、不夜城と化した高級クラブは猥雑な哄笑と脂粉に塗れて、人々は狂気に踊らされていた。製薬業界においては、世界戦略の中心に置いた高血圧治療薬、高脂血症治療薬、糖尿病治療薬、抗生物質、抗がん剤などにスポットライトを当てていた。そこからの企業収入は小さい国の国家予算を上回る。治療法のない「痴呆症」患者は日陰者で見向きもされなかった。
 しかし、杉本八郎によって発明されたドネペジルが1997年にアメリカで発売されると状況は一変する。「痴呆」という呼び名が差別的であると日本老年医学会が声明を出し、2004年には厚生労働省老健局長通知により行政用語変更が行われ、痴呆は「認知症」に、痴呆性高齢者は「認知症高齢者」に変わった。ドネペジルは今や世界で3300億円以上を稼ぐドル箱薬品になった。その後次々と新しい「認知症治療薬」が売り出されて、今では「研究会」というと認知症が人気だ。「多職種共同」と称して、看護師、薬剤師、介護職員までが参加する研究会も多い。まるで急に人気の出た「なでしこジャパン」だ。しかし、認知症患者の社会的受け入れ態勢はまだまだだ。外来で認知症患者を診療する新しい時代に入ったのだから、コミュニティの中でも「人間らしい社会生活」が可能にならなければ、単なる薬の消費者に終わってしまう。そこに、臨床内科医の役割があるのではないかと思う。さあ、認知症臨床に向けてキックオフだ。



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