7 東京内科医会 会誌 第27巻−2号

会誌:第27巻−2号[目次]

東京内科医会第28回セミナー,第25回医学会のお知らせ
東京内科医会腹部エコー実地臨床研修会(第3回)
平成23年度“川上記念賞”受賞候補者推薦のお願い
巻頭言
なでしこジャパンと認知症東京内科医会 常任理事 神津 仁87
東京内科医会 学術講演会

がん疼痛治療の基本余宮 きのみ

88

変形性関節症における疼痛管理の実際川合 眞一

93
東京内科医会 第182回臨床研究会

消化器癌化学療法新時代における外科医の役割佐野 圭二

99

[東京内科医会 第182回臨床研究会 抄録]

104
東京内科医会 第183回臨床研究会

喫煙本数の増加が誘因となったと考えられる急性好酸球性肺炎の1例吉原 久直,他

112

[東京内科医会 第183回臨床研究会 抄録]

117
東京内科医会 市民セミナー2011

東京内科医会市民セミナー2011 レポート清水 恵一郎

127

放射能のひみつ中川 恵一

130

放射能と甲状腺伊藤 公一

139
特集 予防接種の現状と期待

米国の予防接種制度から学ぶこと齋藤 昭彦

150

子宮頸がん等ワクチン接種緊急促進事業について渡部 ゆう,他

156

HPVの予防ワクチンの接種について落合 和彦

159

ヒブ・小児用肺炎球菌ワクチンと接種の実際薗部 友良

163
ひろば

先輩医師をたずねて(8)小野 清四郎先生(江東区医師会)

170

東京内科医会とわたし武石 昌則,青井禮子

171

俳句鈴木 良戈,山下 公三

173
理事会報告174
会員の動向178
投稿規定180
編集後記野口 晟181

なでしこジャパンと認知症

東京内科医会 常任理事 神津 仁

女子サッカーといえば、ワールドカップで世界一の座を得てからは、マスコミ的にもメジャースポーツの仲間入りをしたが、つい最近までは日陰のスポーツだった。国内のリーグ戦を観戦する観客はほとんどいなくて、選手は企業所属とはいえスポーツで稼げる選手はいなかったようだ。昼間に練習できるチームは恵まれているほうで、日本代表でも多くの選手が昼間はレジ打ちなどのバイトをして生計を立て、夜に練習していたという。そんな選手達が、今は輝かしいスポットライトを浴びている。

私が大学にいた頃(30~40年前)、現在「認知症」と呼ばれている疾患は「痴呆症」と呼ばれていた。当時は欧米に多いとされていた初老期痴呆のAlzheimer diseaseは日本には少なくて、Vascular dementia(脳血管性痴呆)が多いとされていた。当時日本人の死因の第一位は圧倒的に脳血管障害だった。死にいたらないまでも、片麻痺や失語症などの強い脳障害を起こして社会生活ができなくなった人が多くいた。原因の多くは、塩分の多量摂取、タンパク質不足、重い労働負荷、軍隊生活で覚えた飲酒や喫煙、treponema pallidum感染症などで、特に日本人男性には多かった。「惚け老人」といわれて、家族から見放され、いわゆる「老人病院」に入院させられた時代だ。社会的入院という必要悪が日本中を跋扈していた。このとき世の中は右肩上がりの経済成長で、銀座・赤坂・六本木では札束が飛び交い、不夜城と化した高級クラブは猥雑な哄笑と脂粉に塗れて、人々は狂気に踊らされていた。製薬業界においては、世界戦略の中心に置いた高血圧治療薬、高脂血症治療薬、糖尿病治療薬、抗生物質、抗がん剤などにスポットライトを当てていた。そこからの企業収入は小さい国の国家予算を上回る。治療法のない「痴呆症」患者は日陰者で見向きもされなかった。

しかし、杉本八郎によって発明されたドネペジルが1997年にアメリカで発売されると状況は一変する。「痴呆」という呼び名が差別的であると日本老年医学会が声明を出し、2004年には厚生労働省老健局長通知により行政用語変更が行われ、痴呆は「認知症」に、痴呆性高齢者は「認知症高齢者」に変わった。ドネペジルは今や世界で3300億円以上を稼ぐドル箱薬品になった。その後次々と新しい「認知症治療薬」が売り出されて、今では「研究会」というと認知症が人気だ。「多職種共同」と称して、看護師、薬剤師、介護職員までが参加する研究会も多い。まるで急に人気の出た「なでしこジャパン」だ。しかし、認知症患者の社会的受け入れ態勢はまだまだだ。外来で認知症患者を診療する新しい時代に入ったのだから、コミュニティの中でも「人間らしい社会生活」が可能にならなければ、単なる薬の消費者に終わってしまう。そこに、臨床内科医の役割があるのではないかと思う。さあ、認知症臨床に向けてキックオフだ。