温故知新
法律、医学の歴史と転換期の偶然について、気づいたことがあったので書き留めておきたい。物語は大抵ギリシャ時代から始まる。法律の祖はアリストテレスが「法の正義」について定義した。善人でも悪人でも物を盗んだら窃盗罪である。どんな身分の人でも犯した行為の害悪の差異のみを顧慮するのが法である。それが法の正義なのである。一方、医学の祖は言わずと知れたヒポクラテスである。アリストテレスよりさらに100年ぐらい前である。ヒポクラテスは病気を「迷信」や「呪い」から分離し、客観的な観察と論理から科学へと導いた。有名なヒポクラテスの言葉の一つ「vita brevis ars longa.」は、「人生は短く、芸術は永遠である」と誤訳されているが、本当は「人生は短いが術は長い」であり、これは現代の医療にも通用する名言である。ギリシャ時代の後は1000年以上も法律は宗教と一体となり、1600年頃ホッブズによって再び自然法思考に戻るまで続く。ホッブズはあの有名な「社会契約論」など、社会の教科書にでてきたロックやルソーに影響を与えた人物である。ホッブズは、自然状態における人々が自然法に命じられて社会契約を結び国家を設立すると説いた。このころのイギリスは、王政復古やピューリタン革命など不安定な時代で、彼の国家に対する期待と不安は、400年後の第二次世界大戦を予想していたかのように私は感じる。宗教が法律を支配していたことを理解できれば、徳川幕府が西洋の宗教は受け入れないため、フランスとスペインが日本貿易から撤退したのが理解しやすいと思う。ただ、イギリスは交易に残った。その外交仲介をしていた三浦按針ことウイリアム・スミスも、先ほどのホッブズと同じ時代に生きているのである。その三浦按針と同い年なのはシェイクスピアであり、私はその400年後に生まれている。日本が鎖国したころ、唯一西洋の国オランダとだけ貿易、オランダ医学を勉強した華岡青洲が1804年に全身麻酔に成功、その40年以上後にアメリカでエーテルによる全身麻酔が成功したのであるが、イギリスの医学雑誌ランセットの初版が1823年、NEJMは1812年である。産業革命、功利主義、法実証主義、経済が膨らみ世界大戦へと突入する。しかし第二次世界大戦後の反省も踏まえ、新しい法実証主義、倫理や道徳のあり方、リベラリズム、環境問題、グローバルジャスティスと個人の幸福の追求や権利ばかりを主張する時代ではなくなってきた。そして法の正義を振りかざして医療訴訟が増えたが、今や医療現場は医師だけの裁量では判断できない、安楽死、尊厳死、生殖技術、クローン技術、ヒトES細胞、iPS細胞と法整備が急がれる問題が山積みである。かと思えば学校にいる子供の命を守ることさえできず、飛行機にはペットボトルの水さえもって乗れない矛盾を指摘した親もいる。難しい問題を抱えながら歩いているので、足元の石さえよけられない状況だ。自分の祖父母や親たちは、富国強兵や高度成長期を生きてきた世代である。世界の大イベントには負のイメージがあるかもしれないが、小さいながらも無茶苦茶頑張って参加してきた日本を今になって省みると、もしかしたら日本の「鼠小僧」や「大岡裁き」は案外いい線いっていたのかもしれない、などと思ったりもする。