東京の地域医療
医療崩壊の危機といわれて久しく、地域医療の極めて厳しい状況が主として地方から報告されている。地方の基幹病院の閉鎖、産科医療機関数の減少等々であり、医師の絶対数の不足には悲鳴に近い声さえ上がっている。それでは、東京における地域医療は如何であろうか。地方ほどの深刻な状況は未だ実感できないものの、産科の救急患者の受け入れ先が決まらずに不幸な転帰をとった事例は記憶に新しい。また、各地区の主要病院の産科の縮小、閉鎖、内科の一部の専門分野の外来の閉鎖などは、もはや珍しくないといえ、東京でも本格的対策の実行が望まれる。
国の予算のうち、社会保障費の毎年2,200億円削減の方針がようやく転換され、また医学部学生の定員が増加されても、その効果が医療の現場に現れるのは遠い将来である。
東京のような医療機関数の多い特殊な地域で、直ちに行えることは何であろうか。それは現在の医療資源の有効な活用であり、いいかえればムダのない医療提供であろう。それには、診療所と病院のこれまで以上の役割分担と、その上でのより密接な精度の高い連携が不可欠である。
我々の診療所での毎日の診療にムダや不必要な部分はないだろうか。専門病院には、本当に病院での高度な医療が必要な患者だけが受診しているのであろうか。残念ながら、ムダや不必要な部分が全くないとは言えない現状であろう。ムダが無くならない理由には、現在の診療報酬体系の問題もあるが、いわゆる「念のための」検査を希望する患者の問題もある。たとえば不必要な検査をなくすためには、入念な問診と丁寧な診察と、その上に時間がかかる説明が必要であるが、それを可能にするものは医師の高度な能力と経験と患者からの信頼でありそれがあまり評価されていない現在の診療報酬体系の改革である。
兵庫県のある地域で、小児科診療を守るために、母親達が受診の必要性をよく考え、時にはそれを自制することにより小児科医の負担を減らすよう運動をしたという事例は、患者側からムダを無くすことを考えるものであり、今後の医療を変えていく1つの方向の象徴と思われる。
地域医療を守るために我々がすぐに出来ることは、毎日の診療の中でのムダを省き、患者にはよく説明して理解を求めることであり、それが可能になるよう自己の診療能力の向上に務め、一方で、診療報酬制度の中で基本的診療のより高い評価を要求してゆくことと思われる。